日本百名山の一つで津軽富士とも称される「岩木山」と、こちらも日本百名山のひとつ「八甲田山」に挟まれた津軽平野に聳え立つ、これまた日本百名城に選ばれた弘前城の城下町。
ここに、津軽の代表的辛口酒「じょっぱり」で数々のコンクール受賞歴を持つ名醸「六花酒造」がある。
目次
六花酒造の歴史
六花酒造の設立は、意外に新しい。
昭和47年、津軽の名門三蔵すなわち「高嶋屋酒造」・「白梅酒造」・「川村酒造」が合併してできた酒造メーカーである。
まずは、江戸時代にまで遡ろう。
津軽の酒造り
江戸時代、津軽藩では近隣諸藩に比べて酒造りが盛んであったようだ。それには、津軽平野の気候風土が大きく影響していると思われる。
- 冬は大雪が降る。豪雪地帯に指定されるほど。
- 夏の気温は夏らしく、それなりに上昇する。
- 梅雨の影響を受けないため、初夏から秋にかけての日照時間が長い。
- 東西南を山に囲まれ、大量の雪解け水が岩木川はじめ幾本もの河川となって津軽平野に流れ込む。
こんなことから、良質の原料米と良質の仕込水の確保が容易であったわけだ。
元禄時代の古文書によると、津軽藩には200軒を超える蔵元があったらしい。東北の大藩である会津藩にあった蔵元が100軒だったことからすると、津軽藩の200軒はかなり多いと言えよう。
弘前の「蔵元御三家」時代
高嶋屋酒造
六花酒造の母体蔵元の一つ「高嶋屋酒造」の歴史が最も古く、享保4年(1719)の創業。
弘前城下で酒造りを始めた。銘柄は「白藤」。どぶろくのような濁り酒だったとのこと。
白梅酒造
次に誕生したのが白梅酒造で、明治19年の創業。銘柄は「白梅」だ。
この頃には200以上あった蔵元は整理されていて、弘前あたりは30軒にまで減っていたようだ。
川村酒造
三番目に誕生したのが川村酒造店で、明治42年のこと。銘柄は「一洋」。
この3社は、明治、大正、昭和初期から戦時中の統制時代、そして戦後の復興期にかけて、繁栄していき、弘前の蔵元御三家とまで称されるに至るのである。
高度成長期
順調かに見えた御三家だったが、高度成長期に入ると大手酒造メーカーが地方へと進出してきたことで、徐々に翳りが見えてくる。
集団就職などにより都会で働く地方出身者の急激な増加は、都会の文化を地元に持ち込む原動力ともなるのである。当時の東京は灘伏見の酒であふれていたのだ。
そして、そこにもってきて、大手メーカーはその圧倒的な資金力を背景に各種メディアで露出を高めつつ、営業拠点・物流拠点を拡充してくるわけだ。
御三家の決断
さしもの御三家も、存続の危機を感じ始めた。このままでは、、、共倒れか、、、
そこで考えた。考えて考えて考え抜いた末に導き出した答えは「御三家の合併」だった。国による中小企業近代化政策の施行もその決断のきっかっけとなっただろう。
すったもんだありつつも、昭和47年、ここに津軽の酒造りの将来を担うべく「六花酒造」が誕生したのである。
「六花」とは、「雪の結晶」を意味するという。雪国である津軽に相応しい美しい社名だ。
辛口酒「じょっぱり」の開発
こうして、津軽の雄「六花酒造」が誕生したわけだが、大手メーカーの攻勢は留まるところを知らず、いや、さらに勢いを増してきた。
そこで考えた。
消費者は都会で流行っている酒が飲みたいらしい。
都会で流行っている大手メーカーの酒は「辛口」だ。
一方、我が津軽は「甘口」で「農醇」な酒が多い。
ならば、我々も「辛口」の酒を造る必要があるのではないだろうか。。。
と。
そこで開発したのが、辛口の酒「じょっぱり」。「じょっぱり」とは方言で、「頑固者」という意味だ。辛口の頑固者。いいネーミングである。
酒質やラベルも洗練させた「じょっぱり」を引っ提げて、、満を持して全国へと打って出たのである。
その後の活躍は皆さんご承知の通りだ。
ここ5年間の全国新酒鑑評会において、すべての年度で入賞を果たし、そのうち3回が金賞受賞という、輝かしい成績を収める蔵である。
六花酒造の特徴
仕込水
六花酒造では、工場内の井戸から地下水をくみ上げている。しかも酒質に応じて。
さらに必要な場合は、1000m級の山々が連なる白神山系の湧き水を運んでくるというこだわりようである。
東北の水は総じて軟水。軟水で辛口の酒を醸すのには、手間隙かけた管理が必要だ。それだけに、出来上がった辛口は、宮水(硬水)で醸した灘の辛口に比べて繊細で切れのある酒に仕上がるという。
原料米
白神山系の伏流水で仕込む米は、やはりその水で育った弘前の米がいい。
大吟醸には兵庫県産の山田錦を使用しているが、蔵の特徴である「じょっぱり」シリーズには青森県産の酒造好適米「華吹雪」(はなふぶき)・「華想い」(はなおもい)を中心に青森県産米を厳選して使用している。
一般米の「陸奥誉」(むつほまれ)も使用しているとのこと。
「陸奥誉」は、「つがるロマン」「まっしぐら」と同じく飯米で、「つがるロマン」が開発される前の青森県の主力米であった。
現在は通常の農家では作付けされていない。六花酒造を使う「陸奥誉」は契約栽培であろうと思われる。
粘りがなく硬い米だが、粒がしっかりした米。リゾットやピラフなどに適していて、イタリア料理店中心にファンが多かったと聞く。
そう聞くと、蒸米にしたとき外硬内軟に蒸しあがりそうな気がしてきた。。。
酵母
酵母についても、まほろば吟酵母、県酵母イ号、ロ号など青森県産にこだわる。
イ号は香り立ちが良い酵母。季節限定の「純米大吟醸じょっぱり華想い 無濾過原酒」は、このイ号で醸している。香りよく、繊細な味わいに仕上がったという。
ロ号も吟醸酒用ながら、発酵力が強く、米の旨味を引き出してくれる酵母。なので、旨口の純米酒には適した酵母と言える。
このように、水、米、酵母、すべてが青森産。ならば作り手も、、、
手造り
六花酒造で働く季節職人さんは、地元のリンゴ農家の人たちだ。毎年、リンゴの収穫が終わってから蔵に入る。だから、他の蔵よりも始動が1か月ほど遅くなる。
そして、弘前の米・水・土壌・気候の変化などを知り尽くした地元の農家の人たちであるからこその仕事をしてくれるのである。
それは手造り。
「手造り」というフレーズは巷にあふれているが、自動ラインと手造りラインの2系統を持つ蔵が多い。特定名称酒以上は手造りラインで、一般酒は機械製造ラインで、という切り分け方をするのが一般的なのだが、
六花酒造はすべての酒を、手造りで醸すという。ほぼ完全手造りの蔵なのだ。
ほぼというのは、精米機・圧搾機・瓶詰機などは機械化されているから。しかし、これらまで手作業となると、1本数万円の酒になってしまう。というか、職人さんたちも逃げ出すだろう。。。
となれば、完全手造りと言っても良かろうと思う。
ここまで言っておいてなんだが、杜氏の河合さんはというと、青森ではなく北海道出身で、驚くことにコンピュータ会社のシステムエンジニアからの転職だそうだ。
面白い。
主な商品の紹介
純米大吟醸「じょっぱり」華想い
インターナショナル・ワイン・チャレンジのSAKE部門の純米大吟醸酒の部にてGOLDを、2014年、2016年、2018年と3度受賞するなど、評価の高い純米大吟醸。
「華想い」を40%まで磨き上げ、低温発酵で醸し、酒蔵でじっくりと寝かせた、こだわりの逸品。
「華想い」は心白の出現率が高く高精白に適しているため、大吟醸用として用いられるが、栽培が難しいため、気候条件の良い弘前地区に限定して作付けされる酒造好適米だ。まさに地元の米である。
リンゴを連想させる優しくも芳しい香り、飲み口も優しく、ほのかな米の旨味と甘みを感じつつ、鼻に抜ける果実香とが相まって、爽やかさすら感じさせる、そんな日本酒である。
華想い100% | 日本酒度 -1 |
精米歩合 40% | 酸度 1.5 |
まほろば吟酵母 | アルコール度 16~17 |
吟醸「じょっぱり」
じょっぱりと言えば赤ダルマのラベル。
かつて、大手メーカーの攻勢の中、生き残りをかけて開発した辛口の酒「じょっぱり」の境地は、この赤ダルマのラベルとともに記憶されていくのだ。
青森の酒造好適米で「華想い」の親品種となる「華吹雪」を60%まで磨いて造られた、じょっぱりならではの爽やかさと旨み。そこに控えめながら華やかに香る吟醸香。
いくら飲んでも飲み飽きしない酒。日本人が心から愛する酒、そしていつまでも愛される酒とは、そういうものなのだという主張を感じさせてくれる逸品である。
華吹雪 | 日本酒度 +5 |
精米歩合 60% | 酸度 1.5 |
協会1401号酵母 | アルコール度 15~16 |
特別純米酒 超辛口「じょっぱり」
じょぱりのシンボルとも言える赤ダルマが、小さく可愛くあしらわれたラベル。
そして赤ダルマの上には、もう一つのシンボル「辛口」の文字が。しかも「超」を冠する「辛口」。まさに「じょっぱり」の本領を発揮する「辛口」の酒。
日本酒度は+12度。とは言え、旨味と微かな甘味を感じることのできる純米酒。
アルコール耐性の強い協会11号系を使っている。割り水前の原酒を飲んでみたいと思わないかい?
青森県産米 | 日本酒度 +12 |
精米歩合 60% | 酸度 1.6 |
協会1101号酵母 | アルコール度 16 |